西国薬師巡礼<第30番 医王山 多禰寺> |
さきのよに まきつるたねの おいいでて のりのはなさく
はるぞうれしき
平安時代になり奇世上人が現れ桓武天皇にその実力が認められて平安京造りに招かれ、その力量を存分に発揮しました。その功績によって寺領を賜り、七堂伽藍は整い八寺十二坊を擁する大寺となり近郷の総菩提寺として繁栄しました。しかし、鎌倉、室町時代の打ち続く戦乱のため衰退没落して、昔の壮大にして華麗な姿は消え失せてしまいました。
寺の威容は消えてしまいましたが七仏薬師の信仰は脈々と人々の心の中に生き続け「多禰寺のお薬師さまは眼と耳を癒してくれる仏さま」として知れ渡り今も地元に根強い信仰に支えられ静かに生き続けています。
京都府舞鶴市字多禰寺346 ☎0773-68-0026
●本尊 薬師瑠璃光如来●開山 麻呂子親王●中興 奇世上人
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法話
あの日あの時 多禰寺住職 松尾法空
出船入り船の舞鶴湾を眼下遠くに、丹波の連山を望む当山の山懐に引き揚げ船記念館があります。館内には酷寒のシベリア抑留所のありさまを始め、数多くの引揚者の所持品が一堂に展示され訪れる人の心をゆすり涙し見入る人もあります。
終戦の翌昭和21年より、外地から続々と興安丸ほかの引き揚げ船でこの港に入り記念館の側にあった桟橋から上陸し、援護局で検疫をすませ帰郷された邦人の数は60余万人に上りました。懐かしい家族と抱き合い生きて帰られた喜びに頬をほころばす人、祖国に帰る夢を見ながら倒れた戦友の遺骨を胸に佇む人、時には鬱憤怒号が飛交い眉を曇らす中でひたすら「母は来ましたこの岸壁に」と唄われたように、乗船者名簿を幾度となく食い入るように見ながら肉親の帰りを待ちわびる人___このような光景が私の脳裏に焼き付いて消えません。
あれから数十年時は流れ、廃墟の中から立ち上がり、今では世界一恵まれた国になりました。元号も昭和から平成と改まり、当時を偲ぶものは悉く風化した感があります。
なれど現代の繁栄は測り知れない犠牲の上に築かれたことを億念し、無数の縁の糸に支えられて今日の自分があることを自覚させてくれるのが、この記念館なのです。
<参考引用掲載> 西国四十九薬師巡礼 朱鷺書房