西国薬師巡礼<第37番 小田原山 浄瑠璃寺> |
末の世に 救いの誓い たのもしく 小田原山の 清めの薬師
京都府相楽郡加茂町大字西小小字札場40 ☎077476-2390
●東本尊 薬師如来 西本尊 阿弥陀九体仏
●開山 聖武天皇 行基菩薩
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法話
薬師仏の願い 浄瑠璃寺住職 佐伯快勝
東方浄瑠璃浄土の名前をいただくこの寺の薬師堂は、永承二年(1047)に本尊として祀られた。寺の南側を流れる木津川に入る直前、約4㌔下流の西明寺薬師像も永承二年、その中間にある高田寺の薬師像は保安(1120)の造顕であることがそれぞれ確かめられている。三体とも国指定重文の立派な像である。
この時代、藤原時代に流行った歌を集めた「梁塵秘抄」に、
”瑠璃の浄土は潔し 月の光はさやかにて 像法転ずる末の世に 遍く照らせば底もなし”というのがある。
仏法が正しく、または形だけはきちんと生きていた正法、像法が過ぎて、いよいよ暗黒の末法が来たこの現世を、静寂と清浄の薬師の瑠璃光できよめ救って欲しいという熱い願望をこめた歌である。末法突入の年とされた永承七年(1052)前後に集中して造られたこの地の薬師像にはこうした願いがこめられている。
この地にも学園都市の大きな開発、大都市からの産廃投棄、ゴルフ場などがじわじわと迫っている。地球規模での環境破壊も次第にあからさまに現れてきて、環境も人心も加速度的にけがされて荒廃してきた。
あらためて本当の薬師如来信仰がひろがらねばと思う。現世の苦悩を越えられる力としての薬を与え、清浄な光できよめてくれ、菩提心をおこして正しく生きるものの後押ししてくれる薬師仏。その真の姿に早く気づいて、”南無薬師瑠璃光仏”が”南無阿弥陀仏”と同じようにひろがらねば___と思う。
<参考引用掲載> 西国四十九薬師巡礼 朱鷺書房