洛西観音霊場<第6番 大慈山 乙訓寺> |
ひとすじに たのみてまいる おとくにじ
ねがいをこめて あふぐみすがた
唐の都、長安に模して都造りがはじめられ、長岡京最大の寺として重要視されました。
乙訓寺は603年頃推古天皇勅願、聖徳太子が十一面観音菩薩を本尊として創建しました。わずか10年で都は京都の平安京へ移ります。
その後乙訓寺は荒廃しますが、弘仁2年(811)嵯峨天皇は弘法大師を別当に任じ、大師は八幡大菩薩と合作で本尊合体大師像(首から上は八幡、身体は大師)を安置し寛平9年(897)には宇多法皇が再興したことから法皇寺と呼ばれたこともありました。
また、この寺で日本歴史に残る大きなできごとがありました。日本密教の原点を作られた弘法大師空海と伝教大師最澄がこの寺で最初の出会いをされ、日本の仏教が大きく発展する要因をつくられました。
大師在任中の弘仁3年9月27日、弘法大師と同時に入唐し、大師よりもかなり早くに帰国していた最澄は、この寺を訪れ、真言の法を教えて欲しいと頼みました。空海は親切丁寧にその法を伝授しました。
在唐期間の短かった最澄はその後も交流を深め、それぞれ空海は、日本真言宗、最澄は日本天台宗を確立し、日本仏教の流れに大きな変革をあたえました。
長岡京市今里3-14-7 ☎075-951-5759
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参考資料 らくさい(京都洛西観音霊場案内)
京の隠れ里の観音様 (こころの散歩道を楽しむ会)
洛西三十三ヶ所 平幡良雄著