洛西観音巡礼<第13番 大悲山 観音寺> |
かかるみを すくはせたまえ かんぜおん
だいひのみてに もるるかたなし
神足(こうたり)は昔、「こうだに」といい地元の人は「かみらはん」と呼んでいました。
伝説によれば桓武天皇が長岡京遷都の折り、
「悪霊を除くため神が地に足をつけて立たれた」ことから太刀と絹を納めて長岡京の南方を守る神社を建立しそれが地名になりました。
元亀元年(1570)雪山和尚によって開創されました。ご本尊は十一面観世音です。
南北朝の頃、吉野でなくなられた南朝の後醍醐天皇の霊を慰めるため息子の後村上天皇が、僧、舜悟に命じて仏師秀弁に造らせたのがこの観音像です。
長岡京市東神足2丁目12-4 ☎075-956-4780
勝竜寺城は南北朝期1339年に細川来頼春が築いたお城で、東西2丁南北50間だったといいます。応仁の乱から1582年の山崎合戦まで幾多の武将が抗争した跡がああります。細川ガラシャ(明智光秀の娘、細川忠興の妻)キリシタン信者で関が原の戦いで石田三成挙兵に際し、人質として大阪城に入るのを拒んで自殺しました。今は小さなお城となっています。
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参考資料 らくさい(京都洛西観音霊場案内)
京の隠れ里の観音様 (こころの散歩道を楽しむ会)