2007年 07月 21日
洛陽観音巡礼 <第21番 法性寺> |
●御詠歌●
かれきしに みのりのふねの ほうせいぢ
しょうぢのうみを やすくわたせる

JR奈良線、京阪の駅、東福寺の線路沿い、通行車両の多い伏見街道沿いに民家と軒を並べひっそりと佇んでいます。
浄土宗西山禅林寺派、山号は大悲山、本尊は二十七面千手観音です。延長二年(924)に藤原貞信公忠平が創建した藤原家の氏寺です。以後平安時代を通じて戦火で焼失するも、藤原家一門の加護を受けて発展し、忠平八代の末孫藤原忠道も頃には金堂、五大堂、灌頂堂、三昧堂など百棟を数える堂塔伽藍が建てられ、京塔21ヶ寺の一つに数えあげられるほどの寺観と荘厳を備えた名刹でした。
以来、公卿の政権は衰えて武士が政権を行なうようになり平安の都も戦乱の火中となって、応仁の乱にはこの法性寺の伽藍や仏像は兵火に焼け廃塵となりました。その後再建の機運にも会えず、わずかに災いを免れた仏像は小堂に収容し、久しく安置されていました。
今の法性寺のご本尊観世音菩薩は、忠道公が42才のとき、難病にかかりこの観音様に祈願され数日にして回復されました。このことで厄除観世音菩薩と称され、国宝にしていされています。
ご本尊は「二十七面千手観音」で高さ1,1m・桜の一本彫です。この写真は御前立ちで、頭上の配置が少し違っています。
京都市東山区本町16丁目307 ☎075-541-8767
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参考資料
「洛陽三十三所観音巡礼」平成洛陽三十三所観音霊場会
「京都観音めぐり」京都新聞出版センター
かれきしに みのりのふねの ほうせいぢ
しょうぢのうみを やすくわたせる


以来、公卿の政権は衰えて武士が政権を行なうようになり平安の都も戦乱の火中となって、応仁の乱にはこの法性寺の伽藍や仏像は兵火に焼け廃塵となりました。その後再建の機運にも会えず、わずかに災いを免れた仏像は小堂に収容し、久しく安置されていました。

ご本尊は「二十七面千手観音」で高さ1,1m・桜の一本彫です。この写真は御前立ちで、頭上の配置が少し違っています。
京都市東山区本町16丁目307 ☎075-541-8767
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参考資料
「洛陽三十三所観音巡礼」平成洛陽三十三所観音霊場会
「京都観音めぐり」京都新聞出版センター
by RO-SHIN
| 2007-07-21 08:06
| 洛陽三十三観音
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