堺市 歴史の散歩 |
1900年(明治33年)来阪した鉄幹と初めて会い、恋愛関係となりますが生家は結婚に反対したため翌年上京して結婚しました。
同年、短歌衆『みだれ髪』を刊行しロマン派の中心人物として鉄幹をしのく名声を得ました。
堺では不倫な行動に走った人として、晶子と同じ年代の人々からは認められず、歌碑なども少なかったのですが現在は多くの歌碑がたてられています。
『堺銃』の名で知られた堺の鉄砲は1543年、ポルトガル人が種子島に伝えた火縄銃です。
その政策技術は堺商人の橘屋又三郎が種子島で直接学んだり、また津田監物算長(つだけんもつかずなが)らが紀州根来に伝わった技術を堺の芝辻清右衛門に教えた事に始まります、鉄砲梶屋敷は現在の七道駅周辺に集まっています。
参考 大阪府の歴史散歩