白鹿山(はくろくさん) 掎鹿寺(はしかじ) |
応永年間(1394~1428)播磨の守護だった赤松満祐の子、教康(のりやす)が、金堂、食堂を建立。室町中期に諸堂が完成しましたが、戦国期の永禄十一年(1568)兵火ですべて焼失。その後再建が進み寛文五年(1665)播磨西国観音巡礼が設定されたおり、観音堂も建立されました。
明治十三年(1880)火災で多宝塔・鐘楼・南蔵院・大乗院を除くすべてを失い、現在の本堂(薬師堂)は明治に再建されたものです。
鹿にまつわる名前の由来についてもいくつかの説があります。播磨国風土記は「はしたなるかも」の言葉から「掎鹿寺」と呼ばれたとか、奈良時代に土師が谷」がなまったといわれるとか・・・
役行者と不動明王の像の前に行場があり毎年5月8日に護摩段が組まれ修験者がホラ貝を吹き火渡り式をします。
無縁古墓塔
寺の奥から「義経の道」が隣町の加東市社町三草山へ。源平の戦いで義経がこの山から掎鹿寺を通り神戸須磨の一ノ谷へ向かった道が今も残っています。
加東市東条町掎鹿谷681 ☎0795-47-0006
参考引用掲載 ふるさとの古寺巡礼 ビジュアルブックス
写真 ro-shin