み仏と私たちは通じ合っている。 |
法身の三密は、繊芥(せんがい)に入れどもせばからず、
大虚にわたれども寛からず。
瓦石草木をえらばず、人天鬼畜をきらわず。
いずれの処にか遍せざる、
何物をか摂せざらん。
(吽字義 全集一)
み仏のお身体、お言葉、み心のお働きはまことに伸縮自在で、例えば細かい細かい塵芥の中に入っても、狭くも何ともないし、また星のちりばめく大虚空、大宇宙いっぱいに広がっても、それでも精一杯も大きさということでもない。だから屋根瓦や石や、草や木の中であれ、人間や優美な天人や、良い鬼や悪い鬼や、犬猫、牛馬などの畜生の中であれ、どこでも忌み嫌うということはなさらない。み仏は万物に対して、全く平等平等であって、どんなところにでも行き届かないということはなく、どのような物体でもみ仏の三密の中に含まれないということはない。これが”平等”ということの本当の意味である・・・・と。
何とも驚くべきみ仏の説明である。人間の三次元的常識では到底理解しがたい世界であるといわなければならないであろう。孫悟空の如意棒は、いかほどでも小さくもなれるし、またいかほどでも大きくなれると言う。
そのようにみ仏は、小は微塵の世界から、大は大宇宙の果てにいたるまで自由自在の活動をなされている。それほどみ仏のお身体は大きく、お言葉も思いもどこにでも通じている。だから石の中、植物、動物の中であれ、天国の中、鬼の中であれ、どこにでもみ仏はいらっしゃる。あなたの中にも、厳然として自身仏のみ仏がいらっしゃる。だから救われることができる......と説かれたのである。
引用掲載 弘法大師空海百話 佐伯泉澄