曼荼羅は霊界の写し絵 |
法は本(もと)より言(ごん)無けれども、
言にあらざれば顕われず。
真如は色を絶すれども、
色を待ってすなわち悟る。
月指に迷うといえども堤撕(ていぜい)極まり無し。
・・・密蔵深玄にして翰墨に載せがたし。
さらに図画を仮って悟らざるに開示す。
(御請来目録 全集一)
これは胎蔵界、金剛界曼荼羅などを唐の恵果阿闍梨からお大師様はお授かりになり、日本にお持ち帰りになった報告書に出ている一節である。
・・・・この世の中の法則道理というものは、別に人間の言葉文字としてあらわされているものではない。法はもとより法として、自然に存在しているだけである。しかし人間にその法則があることを伝えるためには、言葉でもって表現して伝えるより外に適当な方法がない。真如(真実なみ仏の世界のありさま)は物質的な制約を越えているけれども、この世に生きている人に伝えるには、物質的な方法を用いたほうが手っ取り早い。
「お月様はあの空中高く清らかに照っているんだよ」と指させば、教えられた人は指がお月様かと間違えたりする恐れがあるけれども、教えないことにはなおわからなくなるから、教えが説かれるのである。この真言密教の究竟の境地は、み仏とみ仏の世界であって甚だ深く、とうてい一般の文字で説明し尽くせるものではない。
そこでさらに色彩豊かな画によって、整然とした平安なみ仏の世界の様子を、悟っていないものに示して、悟りへのよすがとするのである。これがこの請来した曼荼羅である・・・と。
エマニュエル・スウェデンボルグさんは『私は霊界を見てきた』という本に「どの町でも村でも円形に造られており、その中心にはもっとも権威と徳の高いらしい霊がおり、次第に円の外側に向かって行くにつれ少しずつ中心のものより劣って行くらしいことだった・・・。
円形をなして霊達が住んでいるのは、霊界秩序の一つを表している。中心に住んでいる霊は中心霊といって、唯一人その団体の秩序を維持するための役割と権威と力を持っている(とおしえられた)」と述べられている。
曼荼羅が円形を基本にして描かれているのは、その霊界のありさまのゆえであろう。この曼荼羅はインド・中国・日本と三国伝来のもので、お祖師さまが修行の結果、霊界のありさまを観見されて図画されたものである。それはまことに絢爛とした荘厳世界であるから、実に華やかな色と形で表現されている。しかも悟られたみ仏のお集りであるから、落ち着いていて清らかで明るく温かい雰囲気に包まれている。これがお浄土と言われるものである。すなわち曼荼羅は、あの世のみ仏の世界を描かれたものである。この様子を私たち人間に示されたものである。
そのさし示された指に迷わず、その真実の月を信心によってわが物にしたいものである。
引用掲載 弘法大師空海百話 佐伯泉澄著