一瞬の信心で、み心に通じます。 |
一念の浄心は宛(あたか)も帝網(たいもう)のごとし。
両部界会、何ぞ影向(ようごう)したまはざらん。
一刹の深信は、なおし珠玉のごとし。
十方の諸仏、何ぞ証明せざらん。
(念持真言理観啓白文)
一瞬であっても清らかな心で念ずるならば、ちょうど帝釈天の宮殿に張りめぐらされている宝網(一つ一つの結び目に宝珠がつけられていて、それらが互いに映じ合って、無限に反映し合っている網)のように、胎蔵界、金剛界曼荼羅の両部会の諸尊に通じて、その諸尊がどうして来臨されないことがありましょうか。来臨して下さいます。
一刹那(一息の六十分の一をいう。ごく短い時間)であっても深い信心で拝むならば、それは本当に珠玉のように尊いものである。十方(東西南北、その四隅、上下)無辺の諸仏諸菩薩が、どうして応現救いのみ手をさしのべられないことがありましょうか。差し伸べて下さいます。
一瞬でも、一刹那でも清らかな心で念ずるならば、それは諸仏諸天善神に必ず通ずるものであると・・・。
引用掲載 弘法大師空海百話 佐伯泉澄著

