教えもまた、捨てて進め |
また次に、諸仏の慈悲は真より用を起こして、
衆生を救摂したもう。
病いに応じて薬を与え、もろもろの法門を施して、
その煩悩に随って迷津を対治す。
筏に遭うて彼岸に達しぬれば、法巳に捨つるべし。
自性なきが故に。
(秘蔵法論巻下)
この一句は、菩提心論の引用文である。
大勢のみ仏たちは、真実な法界から慈悲の活動を起こして、私たちに救いのみ手を差し伸べて、温かく救い取って下さるのである。ちょうど病いに応じた薬を与えて病気を治して下さるように、それぞれの心をかき乱す妄念(誤った思い)に適合した教えを与えてその迷いを退治して下さる。
さて川を渡るのに、幸い筏に出会ってそれに乗って対岸に着いたならば、筏はそこに置いて行くように、その悩みから救われた教えも、そこに置いて行かなければならない。教えも因縁によって生じたもので、実態を持ったものではないからである・・・・と。
お釈迦様の教えに「実に筏の比喩を知っているあなた方は、法をもまた捨てるべきである。いわんや非法をや」というのがある。先の一句はこれをふまえて説かれたものである。
しかしこれはまた、大変な教えである。”今まで説いてきた教えを捨てて行け。教えにとらわれるな。”とは実に大胆なお言葉という外はない。
だが、教えとはそもそも一面的なもので、全部をおおうものではない。ちょうどその人の心の症状にあった教えだけが、その人を救うのである。他のあわない教えは害こそあれ益はない。相手と時と場合に応じて教えに縛られることなく、自由自在に説くのが本当の教えというものである。だから法もまた、捨てて進まなければならぬ。
引用掲載 弘法大師空海百話 佐伯泉澄著

