一法にとらわれるな |
如来広く方便をもうくることは、ただ迷人のためなり。
迷を以て悟に対し、乱を以て静に対し
恵を以て愚に対し、善を以て悪に対して皆対治す。
もし一法に住すれば、すなわち法縛を被って生死まぬがれず。
この故に無所住に住して道と相応すべし。
(一切経開題)
「信仰すると、不殺生、不偸盗、不邪淫というように、これもしてはならぬ、あれもしてはならぬと禁止事項ばかりが多くて、小さくちぢこまっておらねばならぬ。こんな窮屈な生き方には満足できない」とおっしゃる方がある。まことにその通りの一面がある。
もちろん、人を殺傷したり、盗みを仕事としたり、婦女とみれば暴行する類いの人に対して、この教えがあるのは分る。またそんな悪心を起こさぬように十善戒を唱えて戒めるということもよくわかる。
だが教えというものは、それぞれ一面一面を受け持っているもので、それで何もかも万能というものではないと言うことを知らねばならぬ。
そこでお大師様は・・・み仏が広く救いの手を設けられているのは、迷っている人たちをみ仏の世界へ導くためのものである。
迷っている人には悟った安隠な生活を示し、乱れている人には静かな安らかさを示し、愚かな人には明るい知恵を示し、悪に対しては善を示して、みんな救い取ってしまわれるのである。ただし、おとなしくさえしておればよい、というように一法にとらわれていたら、それは教えに縛られているのであって、迷いの境界で悟りにはほど遠い。悟りを求めて進むのは、住するところなくして住し、時には静かに温顔をたたえて摂し、時には荒れて怒髪天を突いて叱りつけ、時には与え、時には取り上げ、時と所と相手によって自由自在に処して、道と相応するのが本当の求道者の生きる道である・・・と教えられたのであろう。
引用掲載 弘法大師空海百話 佐伯泉澄著

