調和の原理に心めぐらせ |
仏道遠からず、
廻心
すなわち是なり
(一切経開題)
仏として生きる道は遠いところにあるのではない。心をめぐらしさえすれば、そこにある・・・と。
人生観の原理に大別して、闘争の原理を主とするものと、調和を主とするものと二つある。ヨーロッパの哲学は、憎悪、闘争、の原理を主流としたもので、仏教思想は、和合、調和を主流としたものである。確かに争いも人生の一面であり和合もまた人生の一面である。
人類が生き延びるためには争いの原理は必要であった。太古の昔には猛獣から身を守るために、猛獣とたたかなければならなかった。
今日軍備のない国がないのを見ても分るように、争う原理によって世界は動いている。暴力を否定した競争は現実に行なわれており、入学試験、運動競技、経済、政治に至るまで競争の世界である。この競争、争いが励みとなり楽しみともなり、また文化の進歩発展に役立ってきた面もある。
だがこの争いの原理の分裂ー対立ー排他ー不信ー憎しみー恨みー怒りー闘争は、えてして行き過ぎて、暴力ー破壊ー殺人ということになりかねない。人間が原水爆を持つに至った今日においては、それは人類を破壊に招く危険なものとなってきた。だが争いの原理には、こういうマイナス面を食い止める原理がない。したがって調和の原理によって、人間が人間同士によって傷つけ合い、殺し合うマイナス面を救わなければならない。
調和の原理は、和合ー同体ー寛容ー信頼ー愛情ー許しー柔和ー調和ー慈悲ー建設ー生命尊重という理想世界の原理であり、仏国土の原理である。
ただ注意しなければいけないのはこの温かな寛容と調和の原理は、誤ると悪人を増長させ、悪人にしてやられる恐れがある。猪突猛進の破壊屋、殺し屋にかきまわされることがある。だから悪人から善人を守るために、また、争いの原理がいる。お不動様の怒りの三昧がそれである。お不動様の怒りは、迷える煩悩に対する怒りであり、調和の原理の上に立った、止むに止まれぬ怒りである。人を害わんがためのものではない。したがって争いの原理は、調和によって浄化されなければならない。
さて仏土世界では、人に危害を加えようというような人はいないから、全く安心なものである。ゆったりとしておられる。刺々しい気持がないから自然と柔和になる。みんなの生命が明るく、楽しく、美しくすくすくと生きるように、という愛情に満ちた仏様が導いて下さっているから伸び伸びとしていられる。仏国土とはこういう原理の生きている世界である。
心をめぐらすというのは、こういうみ仏の同体大悲の調和の原理に心のすわりをすえて、仏国土建設にそれぞれの職業を通して、喜んでお手伝いすることにある。
引用掲載 弘法大師空海百話 佐伯泉澄著

