【酒乱封じ】 坂松山 一心寺 |
慈円大僧正の招きにより四天王寺に参詣した法然上人は、西門近くに草庵を結び、荒陵(あらはか)の新別所と名づけました。そして難波の海に沈む夕陽に極楽浄土をしのんで日想観をしました。
これ以降法然上人は毎年日想観を修しています。あるとき、後白河上皇が四天王寺参詣に際して、上人の草庵を尋ねともに日想観をしました。その時に詠んだ歌
(法然上人)
阿弥陀仏の言うより他は津の国の
浪花のことも悪しかりぬべし
(法皇の返歌)
浪華潟入にし日をも眺むれば
善し悪しともに南無阿弥陀仏
さて、酒乱封じに御利益のあるのは、本多出雲守忠朝の墓で、元和二年(1616)に建立されたものです。本多出雲守忠朝は、徳川家康公四天王の一人といわれた本多忠勝の第二子です。関ヶ原の合戦に武功をあげて、福島県の大喜多五万石に封じられました。ところが無頼の酒好きのために身を誤り、元和元年(1615)の大坂夏の陣において戦没しました。
死に臨んだ忠朝は、深く自らの酒乱を悔い「将来酒のために身を誤るものを助けん」と誓って瞑目したと伝えられています。
それ以来、酒に苦しむ人やその家族が、多数参拝するところとなりました。現在でもお墓の周囲には祈願の言葉を書いた「しゃもじ」がたくさんかけられています。
一心寺の中で特に有名なのは納骨堂に祀られている骨仏です。信者からの納骨を用いて約十年ごとに阿弥陀仏を建立します。現在数体の骨仏が安置されています。これは仏さまですが、同時に亡くなった身内の遺骨でもあるのです。そのため、お墓に献じるように献花、献灯が絶えません。
大阪市天王寺区逢阪2-8-69 ☎06-6771-0444
参考引用掲載 関西御利益の寺社
写真 ro-shin