【厄除け 無病息災】阿倍王子神社 阿倍晴明神社 |
鬼を操る超能力者阿倍晴明
歩いていると、ところどころに、熊野かいどうの石碑が建っています。バスの場合は王子神社前で降りるとすぐです。神社の西側の鳥居横には「もと熊野街道」の石碑が建っています。
熊野詣では平安時代から鎌倉時代にかけてさかんになり「蟻の熊野詣」とよばれました。その街道の往来が激しくなるにつれ京の都から熊野までの道筋には熊野九十九王子と呼ばれた王寺社が作られました。
王子とは熊野三山の末社という意味で、遥拝と休憩所を兼ねた社はそれぞれの土地の名前を付けて呼ばれました。そのためこの神社は阿倍野の地にある王子神社となります。大阪市阿倍野区の阿倍野という地名は、その昔阿倍氏一族が住んでいた土地であったことから由来します。
阿倍晴明神社
その御祭神である阿倍晴明は、平安時代の陰陽師で「陰陽道」を自在につかっての運勢や吉凶・天変地異を占い、その不思議な能力を駆使して鬼狩りを行なったと言われています。
また「式神」とよばれる、しもべの鬼を晴明の屋敷があった京の都の一条戻橋のたもとに埋めて、自由自在に操ったとも言われています。式神とは陰陽師のつかう操り人形のようなもので、呪文を書いた紙を鬼や烏に変身させて遠くはなれた場所の情報を知ったり、呪いをかけたりすることができる妖術です。 晴明は天慶七年(944)3月にこの近くで生まれたと言われ、境内に「産湯の井」があります。数々の妖術を使う無類の超能力者であり、首をはねられても生き返ったという伝説もある謎の人物です。幼名は阿倍童子とよばれ「葛の葉物語」に登場する信太の森の白狐の子供だったという説もあります。当社は晴明の没後二年目の寛弘四年(1007)に創建され江戸時代には大社の一つとして栄えました。
明治維新の頃から衰退し、一時は石碑と祠が残るのみになりましたが大正十四年(1925)に阿倍王子神社の末社として再建され現在に至っています。また太平洋戦争の焼夷弾の直撃を受けても不発に終わったことで厄除けの神としてもてはやされるようになりました。
現在では[占いの神社」で有名です。本殿には日替わりで占い師が常住しています。また、「四神」と呼ばれる魔除けの守護神のお札や、ブレスレット、勾玉なども販売されています。
参考引用掲載 大阪神戸の謎とき散歩
写真 ro-shin