【天王寺七坂】 口縄坂 |
口縄坂は七坂の中でも特に人気の高い坂道です。口縄坂の名前の由来は、坂の下から見上げると「蛇」(関西弁で口縄)の腹のように見えるからという説と、大阪城を築く時の「縄打ち口」(起点)であったことに由来する説があります。
昔から有名で江戸時代の名所・旧跡の案内本「摂津名所図会大成」や「摂陽群談」は、「蛇坂(くちなわ)」の文字をあてて、道が蛇のように曲がることに由来するとし、
松尾芭蕉も
口とじて蛇坂を下りけり
の句を詠んでいます。
また『夫婦善哉』『わが町』などで知られる織田作之助も、口縄坂を舞台とした『木の都』の中で「口縄とは大阪で蛇のことである。といえば、はや察せられるやうに、口縄坂はまことに蛇の如くくねくねと木々の間を縫うて登る古びた石段の坂である」と描写しています。
織田作之助は高津中学を卒業するまで上町で育ちます。『木の都』は高津中学を卒業して以来、10年ぶりで自分の育った町にやってきた作家自身の随想を綴った作品で、生国魂神社や口縄坂など夕陽ケ丘界隈の風景が活き活きと描かれています。
現在の口縄坂は、まっすぐに延びる石段に手すりや側溝が整備されていますが、現在でも上の方で曲がっていたりして、面影はあるように思います。
参考引用掲載 大阪を歩く
写真 ro-shin