2009年 04月 10日
近江湖東 <第16番 御都繖山石馬寺(馬の寺)> |
繖山の麓、推古天皇の二年(594)摂政であった聖徳太子が、永久の鎮護国家、興隆仏法、利福衆庶を祈る道場を求めて、近江の国を馬で廻っておられた。そして繖山に来られた頃、馬が動かなくなります。しかたなく馬を松の木に繋いで山に登って地形を観察し風光も秀麗である事から、ここに道場を建てようと考え山を下りてきたところ、つないでいた馬が傍の池の中に沈んで石になっていました。
それで、馬が石になった寺という意味で「石馬寺」としました。
聖徳太子の創建以後、この寺は法相宗、天台宗と転宗し、近江源氏佐々木氏が篤く帰依しましたが永禄十一年(1568)織田信長に、伽藍、僧房ことごとく焼かれました。降って豊臣氏が天下を取るとどうしたことか今度は寺領、山林を没収し、住職、僧徒は退散を命ぜられました。そのために農民や職人になって命を繋ぎます。
しかし、慶長八年(1603)徳川氏がこの事を知り石馬寺を復興して、徳川家光公が上洛にあたり、能登川町にあった御茶屋御殿をこの地に移して大方丈としました。


観音坂と呼ばれる石段を約三百段登ったところにお寺があります。石段は思ったほどきつく感じませんでした。主な文化財は、恵心僧都作の丈六阿弥陀像をはじめ、行基菩薩作の十一面観世音立像二躰、鳥仏師作の二天王立像二躰二組、大威徳明王牛上像、以上いずれも弘仁藤原時代を代表する国指定の重要文化財になっています。東近江市五個荘石馬寺町 ☎0748-48-4823
参考掲載引用 近江湖東二十七名刹巡礼
写真 ro-shin
by ro-shin
| 2009-04-10 09:05
| 近江湖東27名刹
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