近江湖北 <第25番 八葉山 蓮華寺> |
●御詠歌
はちすいけ ひながまわりて ごくらくの
さとりひらけし はなのさくごと
蓮華寺は聖徳太子の叡願により推古天皇の二十三年(615)法相宗の憲崇律師によって造営され法隆寺と呼んでいました。当時は七堂伽藍が整い偉容を誇っていましたが660年後の建治二年(1276)に雷災によって七堂伽藍がことごとく焼失してしまいました。
日光山玄海阿闍梨の弟子で、謙遜して畜能、畜生という二人の法師がここに堂宇を建てました。『太平記』によると「番場の辻堂」と呼ばれていたと言われます。
弘安七年(1284)の夏に念仏教化のために諸国を行脚し、越前よりこの地に着かれた一向俊聖上人に対して、畜能、畜生の両法師は念仏済度を懇請、上人は四十八夜の念仏を奉修し衆生に念仏を教化されました。それ以後番場の辻堂を一向堂と呼ぶようになりました。
一向上人は暦仁二年(1239)筑後の国に誕生。幼名は松童丸といい、法然上人の専修念仏の教えを受け継ぎ踊り念仏を修してその教えを広めた方です。徹底した念仏三昧で衆生を済度され、ここ蓮華寺で弘安十年(1287)十一月十八日、亥の刻に歓喜の笑みを含み、立ちながら大往生されました。
滋賀県米原市番場 ☎0749-54-0980
参考引用掲載 近江湖北二十七名刹巡礼
写真 ro-shin