Pilgrim 東西南北巡礼記
2022-09-25T08:49:33+09:00
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関西の神社・仏閣・古墳など巡っています。
Excite Blog
真宗西宝寺に張り出された法語⑩
http://pilgrimari.exblog.jp/241589289/
2022-09-24T13:12:00+09:00
2022-09-25T08:49:33+09:00
2022-09-24T13:15:53+09:00
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法語
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真宗西宝寺に張り出された法語⑨
http://pilgrimari.exblog.jp/241475083/
2022-06-07T07:26:00+09:00
2022-06-07T07:47:05+09:00
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法語
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真宗西宝寺に張り出された法語⑧
http://pilgrimari.exblog.jp/241473975/
2022-06-06T06:25:00+09:00
2022-06-06T06:36:45+09:00
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法語
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真宗西宝寺に張り出された法語⑦
http://pilgrimari.exblog.jp/241472864/
2022-06-05T06:03:00+09:00
2022-06-05T06:15:53+09:00
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法語
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真宗西宝寺に張り出された法語⑥
http://pilgrimari.exblog.jp/241472021/
2022-06-04T07:55:00+09:00
2022-06-04T08:06:36+09:00
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法語
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真宗西宝寺に張り出された法語⑤
http://pilgrimari.exblog.jp/241470945/
2022-06-03T05:52:00+09:00
2022-06-03T05:59:43+09:00
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法語
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真宗西宝寺に張り出された法語④
http://pilgrimari.exblog.jp/241470057/
2022-06-02T07:35:00+09:00
2022-06-02T07:48:54+09:00
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法語
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真宗西宝寺に張り出された法語③
http://pilgrimari.exblog.jp/241469130/
2022-06-01T08:41:00+09:00
2022-06-01T08:53:14+09:00
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法語
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真宗西宝寺に張り出された法語②
http://pilgrimari.exblog.jp/241468023/
2022-05-31T06:16:00+09:00
2022-05-31T06:28:32+09:00
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法語
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真宗西宝寺に張り出された法語①
http://pilgrimari.exblog.jp/241467385/
2022-05-30T14:07:00+09:00
2022-05-30T14:09:34+09:00
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法語
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方違(ほうちがい)神社と反正天皇陵(はんぜい)古墳
http://pilgrimari.exblog.jp/241404484/
2022-03-28T07:14:00+09:00
2022-03-28T07:14:36+09:00
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関西ご利益寺社
大阪府堺市三国ヶ丘にある方違神社、方災厄を司る方違幸大神「八十天万魂神(天神地祇)素盞嗚尊 三筒男大神(住吉大神)息気足長姫命(神功皇后)」が祀られていて、家や車、方位除けとしてご祈祷やお札、お守りを授かることができ、賑わっています。
神社の境内から反正天皇陵古墳が見えます。仁徳天皇陵古墳・履中天皇陵古墳と同じように前方部は南向きになっています。百舌鳥古墳群の中では7番目の大きさ。円筒埴輪、朝顔形埴輪、蓋(きぬがさ)形埴輪・須恵器(すえき)などが出土しました。
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古墳群 登ってみて(読売新聞より引用掲載)
http://pilgrimari.exblog.jp/241397544/
2022-03-21T06:55:00+09:00
2022-03-21T06:55:48+09:00
2022-03-21T06:55:48+09:00
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百舌鳥古墳群
特別公開するのは世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」のうち、堺市内にある百舌鳥古墳群を構成する収塚・旗塚・長塚・寺山南山古墳の4古墳です。4古墳とも午前10:00~午後3:30まで、30分ごとに古墳に登れる時間が設定されていて職員による解説を聞くことができます。また、関連イベントとして各古墳、会場ではカードや缶バッジが配られ、集めることで景品がもらえるそうです。
詳しい古墳の説明はこのblogカテゴリーから百舌鳥古墳群を選んでいただければ見ることができます。
参考引用掲載 読売新聞3月21日より
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巣山古墳(すやま)
http://pilgrimari.exblog.jp/241357304/
2022-02-06T20:51:00+09:00
2022-02-06T20:51:40+09:00
2022-02-06T20:51:40+09:00
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奈良古墳群
前方部
巣山古墳外堤北側には南北約20m、東西約40mの古墳状高まりがあります。発掘調査を行ったところ、この高まりの上には円筒埴輪列と円筒棺が設置されていました。
また船形埴輪の破片が出土し外面には直弧文(ちょっこもん)と呼ばれる紋様が施された非常に珍しいものであることがわかりました。 埴輪は古墳時代中期(四世紀後半)に造られたもので、巣山古墳築造とほぼ同時期と考えられます。この高まりは奈良時代(八世紀)以降に大きく形が変えられ造られた当初の形状は不明です。しかし、円筒棺があることから古墳時代には埋葬場所とし認識されていたと見られます。円筒と呼ばれる土製の棺、造り方は埴輪と共通していて土管のような筒状の棺身(かんみ)の両端には笠状の蓋が付けられていて、棺身には12本、蓋には数本の帯状の突帯(とったい)と呼ばれる粘土紐が付けられています。
円筒の内部には鉄剣・鉄鏃(てっそく・やじり)鉄釜・鉄斧(てっぷ)が副葬品として納められています。円筒棺に副葬品を伴う事例は少なく、埋葬された人物が有力者であったことをうかがわせます。
参考引用掲載 巣山古墳掲示板
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真宗西宝寺に隣接する波切不動明王さま
http://pilgrimari.exblog.jp/241311331/
2021-12-20T21:22:00+09:00
2021-12-21T21:27:32+09:00
2021-12-21T10:33:05+09:00
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大阪市
水かけ不動さんと呼ばれる波切り不動明王様です。
このお不動様が、何故、真宗興正派の寺院に隣接してお祀りされているのか不思議に思われる方もいらっしゃると思います。先日、西宝寺第二世の住職川合静宣より、由緒がきをいただきましたので、紹介したいと思います。本来、浄土真宗は阿弥陀如来一仏を御本尊として(釈迦弥陀は慈悲の父母)としてお祀りしていますので、他の仏像をお祭りすることはありません。
もともと、このお不動様は昭和14年7月まで、西成区(当時住吉区)橘通3丁目5番地にあった、湯浅伸銅所別邸跡土蔵前地下に埋もれていました。当時、同町辻井幸三郎氏が発掘された仏像を住吉区松田町3丁目(現西成区天下茶屋東)の鎌田岩次郎氏が請い受け自宅前の排水溝に蓋をして祀っていると、大阪市から排水溝に蓋をするなら税金を払えと言われ困り、同町で篤信家の井上貞次郎氏に相談し、たまたま前にある広場に祀ることにしましたが(当時は空き地はあちらこちらにあった)お祀りした途端に東京より地主が現れ排除要請されて困り果てた末、当寺に運び込まれた。しかし、当寺は阿弥陀様以外の仏像をお祀りしませんので断りました。翌朝、当寺の住職川合静雲が門を開けようとしても門のかんぬきが動かない。不審に思ってくぐり戸から出てみると、門にお不動さんを持たせ掛けて放って帰っていました。
静雲の母は顔のほりが深かったそうで、なんとなく自分の母親の顔に似ているような感じがしたので、鎌田氏・井上氏に一角を提供するが貴方たちや町内の人たちで祀るように、西宝寺としては直接関与しないということで現在地に祀られることになり、昭和14年9月に開眼法要が営まれました。
その後昭和20年3月の大阪大空襲で西宝寺はもとより周辺が戦災に遭い焼け野原になりました。その時に、このお不動さんのところだけが焼け残りました。住職静雲家族はやむなく岐阜県飛騨の高山の妻の実家へ疎開、戦況厳しく静雲と息子静宣の二人が、さらに奥飛騨の丹生川村というところに移転。その後終戦となり静雲の生家がある香川県に移住。 当時、飛田遊郭が盛んで中のみんなが聖天山にある正円寺の聖天さんにお参りしていました。ある日たまたま遊郭有明楼の楼主小山市松氏と元西宝寺の総代の阿倍野区の割烹三国家(現在は阿倍野区民センターのそば)の店主森川政太郎氏が、このお不動さんの前で会い「今、周辺が焼け野原でみんなが畑などにしているがここに寺があった」という話をした所、「小さな家でも建てさせてもらうから、ここに帰ってきてせんこうやロウソクを置いてもらえないか」ということで、大阪の現在地に帰るきっかけとなりました。
その後も何度も建て直しましたが、その時の約束を守り、戦災の時静雲が持ち出した本尊阿弥陀如来を外から拝めるようにして、現在も、誰でもいつでもお念仏を喜んでいただけるところになっています。
したがって、西宝寺としては阿弥陀様のご縁にあっていただけるきっかけとなるこのお不動様を助縁仏と呼んでいます。
参考 西宝寺第二世 川合静宣著
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ナガレ山古墳(馬見・うまみ丘陵公園)
http://pilgrimari.exblog.jp/241230352/
2021-10-06T20:40:00+09:00
2021-10-06T20:40:46+09:00
2021-10-06T20:40:46+09:00
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奈良古墳群
☆南向きの2段築成の前方後円墳
☆全長103m、後円部径64m、前方部幅70m この古墳は、奈良盆地の西にある馬見丘陵公園の東にあります。 昭和50年に墳丘の土取り工事があり、奈良県教育委員会が調査を実施した結果、墳丘裾部に埴輪をめぐらせていて、遺存状況良好でした。埴輪例は布掘りの掘方の内に10cm間隔で円筒埴輪を並べ、10本~20本ごとに形象埴輪と推定される大形の埴輪を配置したものであることが判明しました。墳丘裾部には葺石がみられ、埴輪列の外方約1.5mの位置に板状安山岩を2~3段重ねて基底としています。くびれ部には埴輪により区切られた方形区画が発見され、埴輪の配置から1辺10mほどの規模と推定されています。↑ 前墳から見た円墳 ↓ 円墳から見た前墳古墳が再現されています。上まで登れます。
参考引用掲載 文化遺産オンライン
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