Pilgrim 東西南北巡礼記 :人はなぜ苦しむのか
2010-11-15T14:31:56+09:00
ro-shin
関西の神社・仏閣・古墳など巡っています。
Excite Blog
<人はなぜ苦しむのか ③>
http://pilgrimari.exblog.jp/3053572/
2006-01-20T07:07:00+09:00
2010-11-15T14:31:56+09:00
2006-01-20T07:07:07+09:00
ro-shin
人はなぜ苦しむのか
楽しくなったら喜ぶのが人間です。
この人間は地獄、餓鬼、畜生、修羅、天上という
どの道も自由に選べるというのが人間です。
でも六道の世界にいる限り人は苦しむと仏教は現実を示唆しています。
人生は四苦八苦であると言っています。
生、老、病、死という四つの苦しみに加え、
愛別離苦、愛する人と別れる苦しみ、
怨憎会苦、憎い人と一緒にいる苦しみ、
求不得苦、欲しい物が得られない苦しみ、
五陰盛苦、体が盛んすぎて心と分裂してしまう苦しみ
では救われないかと言うとそうでもない。
この世界は十の世界からできています。この六道の上に声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界とあります。声聞とは声を聞こうとする心の状態をいい、縁覚とは自然現象をもふくめあらゆものを縁として悟ろうとする心の状態を言います。
菩薩とは仏の教えを実践する人を言い、仏とは真理を悟った人を指します。
人間本来の姿とは、六道を迷い歩く姿ではなく仏を内に秘めた存在である。
だから目覚めなくてはならないと教えています。(終わり)
<参考 引用 三浦俊良著『東寺の謎』詳伝社より>
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<人はなぜ苦しむのか ②>
http://pilgrimari.exblog.jp/3049262/
2006-01-19T15:29:00+09:00
2010-11-15T14:31:27+09:00
2006-01-19T15:29:16+09:00
ro-shin
人はなぜ苦しむのか
まず、地獄とはご存知のように人が死ぬと三途の川というのがあり、渡ると地獄があり、えんま大王が「お前は娑婆で何をやってきたか!」とたずねます。
ほとんどの人が「わたしは悪い事はなにもしてきていません。」と答えます。
するとえんま大王は
「そのウソは本当か」と聞き「浄玻璃の鏡」というすべてを見通す事のできる鏡をもってきます。
この鏡には何もかも映ってしまうのでウソは見破られてしまいます。熱い地獄へ落とされてしまうという事です。これが地獄です。
人は人をだましてうまくやったつもりでも、自分自身をだます事はできません。
自分の行為がもしかしたら人にばれていないだろうか。全部見抜かれてはいないだろうか。
と良心の呵責におびえ苦しむ事になります。こういう心の苦しみの状態を地獄と言います。
次に餓鬼とは何でも欲しがる、むさぼり続ける心の状態を言います。
京都の石庭で有名な龍安寺には、三戸光圀が寄進した銭形のつくばいがあります。
そのつくばいには「吾唯足知」(われただたることをしる)と刻まれています。
「足る事を知るものは、貧しいといえども富めり。足る事を知らざるものは富めどといえども貧し」という意味が秘められています。
このように、足る事を知らない心を餓鬼と言います。
畜生とは人の言葉が届かない、何も聞き入れられない心の状態を畜生と言います。
阿修羅とは人を罵倒し戦う事を、生きていると正当化して争い続ける心の状態を阿修羅と言います。
人間は苦しくなったら涙を流し、哀しみ、嘆き、怒り、楽しくなったら喜ぶのが人間です。天上は、たとえば画家に「この500万円で絵を描いてください」とお願いする。画家は「500万円は安いなあ」とか「儲かったなあ」とか思う。
これは欲の世界ですが、一度絵を描き始めるとお金の事など一切忘れて絵に集中する。命を静寂という世界へ行って描き続ける。この心の状態が天上です。
天上に至った画家が絵を描き終えると、また天上より下の道へ戻ってくるのです。 続きます。
<参考 引用 三浦俊良著『東寺の謎』詳伝社より>
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<人はなぜ苦しむのか ①>
http://pilgrimari.exblog.jp/3044908/
2006-01-18T20:59:00+09:00
2010-11-15T14:30:43+09:00
2006-01-18T20:59:12+09:00
ro-shin
人はなぜ苦しむのか
人間とはなにか、なぜ苦しむのか、苦しみを生むものは何か、と仏教は考えます。
そして一つの結論を導きだしました。
それは煩悩に執着する事が誤りではないかと・・・・
煩悩とは身体を煩わす「煩」と、心を悩ます「惱」を会わせた言葉で百八種類、八万四千の煩悩があると言われています。
除夜の鐘を百八回撞くのは、煩悩を打ち砕き消し去るという意味があります。
すべての煩悩を消し去り新しい気持ちで新年を迎えようという希望から生まれたそうです。
百八種類の煩悩の中に、根本煩悩といわれる六つの煩悩があります。
☆むさぼりの心をあらわす「貪」とん
☆いかりの心をあらわす「瞋」じん
☆知恵のない心をあらわす「癡」ち
☆自他を比較する心である「慢」まん
☆疑う心である「疑」ぎ
☆よこしまな心である「悪見」あっけん
この煩悩の中で泳いでいるうちはまだいいけれど、執着すると苦しみに転化して行きます。
人は苦しみ始めます。ここではじめて迷いから抜け出すか迷いの中に溺れてしまうか選択する事になります。問題は固執する心なのです。
人間は今、自分がどの道を歩いているかを知る事だと言います。
仏教では人間は六つの道をさまよいながら生きていると説いています。
☆地獄道
☆餓鬼道
☆畜生道
☆修羅道
☆人間道
☆天上道
これはそういう道が実際にあるのではなく人間が作り出す意識の世界なのです。
続きます。
<参考 引用 三浦俊良著『東寺の謎』詳伝社より>
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