Pilgrim 東西南北巡礼記 :仏塔古寺十八尊
2018-02-23T18:41:07+09:00
ro-shin
関西の神社・仏閣・古墳など巡っています。
Excite Blog
仏塔古寺十八尊 <第18番 宀一山 室生寺>
http://pilgrimari.exblog.jp/6265536/
2007-10-05T07:38:00+09:00
2018-02-23T18:24:20+09:00
2007-10-05T07:38:39+09:00
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仏塔古寺十八尊
山号の「宀一山」はべんいちさんと読みます。室生の略と言われています。
室生は大昔は噴火口で、周囲の山々は外輪山だったと伝えられています。室生寺の創建については白鳳9年(680)天武天皇の勅願によって、役の小角が草創し、後に弘法大師が東寺、高野山とともに真言宗三道場の一つとして営まれたと言います。江戸時代中期「女人高野」として有名になりました。高野山が女人禁制であったのに反し、室生寺は女性の入山を認め高野山にかえてこの寺に参る女性の姿は続々と続きました。
写真は去年のものです。
奈良県宇陀郡室生村字室生78 ☎07459-3-2003
●本尊 如意輪観世音菩薩●開山 役の小角 弘法大師 隆光]]>
仏塔古寺十八尊<第17番 甲山 神呪寺 かんのうじ>
http://pilgrimari.exblog.jp/6256351/
2007-10-03T07:18:00+09:00
2018-02-23T18:25:38+09:00
2007-10-03T07:18:46+09:00
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仏塔古寺十八尊
西宮市の北のほうにそびえる円形の山を甲山といって海抜309mでトロイデ(爆発せずに溶岩が塊状のまま持ち上げられた火山)で天然記念物に指定されています。
この甲山は兜を伏せたような美しい形態で知られ西暦190年ごろ、神功皇后が平和を祈念してこの山に金の兜を埋めたという伝説があります。
神呪寺の神呪は神を呪うではなく、般若心経の中にもでてくる言葉で、サンスクリットの「マハ・マントラ」です。
ありがたい、尊い、真言といった意味で、甲山を神の山としてあがめた言葉です。本尊の如意輪観音は河内の観心寺、大和の室生寺とともに日本三如意輪像として有名です。弘法大師作で秘仏とされています。弘法大師像(重文)は大師58才のお姿をあらわしたもので一般に「甲山大師」と呼ばれ厄除大師として人々の信仰を集めています。
兵庫県西宮市甲山町25-1 ☎0798-72-1172
●本尊 如意輪観世音菩薩●開基 如意尼公]]>
仏塔古寺十八尊 <第16番 獨鈷山 鏑射寺>
http://pilgrimari.exblog.jp/6245671/
2007-10-01T00:01:00+09:00
2018-02-23T18:26:57+09:00
2007-10-01T00:01:26+09:00
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仏塔古寺十八尊
JR道場駅より武庫川に沿って山路を30分程歩くと静かなたたずまいの鏑射寺につきます。このお寺は聖徳太子が仏教弘通の道場として開山。
また太子が鏑射を射ると戦わずして敵が降参したというのが鏑射寺(かぶらいじ)の由来となっています。
この辺一帯は山全体が神の山だったということで神漏岐(かむろぎ)から転じて鏑射寺となったとも言われています。
一時は山全体に堂塔が立ち並び隆盛を極めていましたが南北朝の頃南朝に味方して焼かれ、復興後も明治の廃仏棄釈で地元、三田九鬼の藩士の手で一部を焼かれ以来荒廃にまかせていました。
昭和40年になって現在の住職の手によって護摩堂や三重塔が建立されました。護摩堂の中には、東京浅草寺の仁王像を制作された仏師、村岡久作氏の作品の不動明王がおられます。自由にお詣り、拝観できるそうです。
神戸市北区道場町生野1078-1℡078-986-4095]]>
仏塔古寺十八尊 <第15番 生駒山 宝山寺>
http://pilgrimari.exblog.jp/6236385/
2007-09-29T00:32:00+09:00
2018-02-23T18:28:05+09:00
2007-09-29T00:32:37+09:00
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仏塔古寺十八尊
この多宝塔に愛染明王様をお祀りしています。この愛染明王さまはもとは愛染院の本尊として祀られていました。
1863年愛染院が焼失しましたが御本尊は焼失をまぬがれてこの多宝塔に祀られるようになりました。今では多宝塔本尊として祀られています。この多宝塔は新しいもので昭和32年に完成したものです。
宝山寺は 聖天信仰のメッカ「生駒の聖天さん」と呼ばれています。 開祖は今から300年前、湛海律師が永世修練の場と定めて自ら不動明王を彫り上げお祀りしました。
聖天さんは当初お寺を守っていただく為に祀ったものですが、それがいつの頃からか商売の神様として親しまれるようになり商都大阪を背後に控えていたことから、しだいに聖天さんが信仰の中心になって行きました。
以前は「大聖不動寺」と称していましたが後に「宝山寺」と書かれた弘法大師の真跡が見つかりこれが寺号となったということです。 聖天堂の背後には岩屋がそびえ立っていて般若窟と呼ばれています。役行者が修行したおり、ここに梵経の般若経を納めたことに由来しています。岩屋の中程に弥勒菩薩が祀られています。
奈良県生駒市門前町1-1 ℡0743-73-2005]]>
仏塔古寺十八尊 <第14番 元山上 千光寺>
http://pilgrimari.exblog.jp/6227977/
2007-09-27T07:03:00+09:00
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2007-09-27T07:03:13+09:00
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仏塔古寺十八尊
開祖の役行者は大和国や河内和泉の山岳地帯で修行を積んだ人で、女人禁制の大峯山を開く前に、この千光寺を開いていましたので、この寺を元山上と呼ばれています。また女人も参拝できるので女人山上とも呼ばれています。
天智天皇の時代にこの地で修行をつんでいた行者が感得した千手観音を刻んだのが始まり。その観音様からは千光が発せられたのでこの寺は千光寺と名づけられました。
奈良県生駒郡平群町大字鳴川188 ☎0745-45-0652]]>
仏塔古寺十八尊 <第13番 槇尾山 観心寺>
http://pilgrimari.exblog.jp/6217426/
2007-09-25T06:25:00+09:00
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仏塔古寺十八尊
建掛塔
三間四方・茅葺・三重塔建立予定が、楠木正成湊川で討死のため未完のまま現在に伝わる南朝の歴史を偲ぶ楠木氏の菩提寺です。
観心寺は文武天皇の大宝元年(701)役小角(役行者)によって開かれ、はじめ雲心寺と呼ばれていました。その後平安時代の初め大同三年(808)に弘法大師空海が寺を訪ねられた時、境内に北斗七星を勧請され弘仁六年(815)衆生の除厄のため本尊如意輪観音菩薩を刻まれて寺号を観心寺と改めました。
金堂如意輪観音・秘仏で毎年4月17・18日開扉楠木正成首塚
♪青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ〜
大阪府河内長野市寺元475 ☎0721-62-2134
●本尊 如意輪観音●開祖 役小角]]>
仏塔古寺十八尊<第12番 大悲山願成就寺 慈眼院>
http://pilgrimari.exblog.jp/6210374/
2007-09-23T22:42:00+09:00
2018-02-23T18:30:51+09:00
2007-09-23T22:38:57+09:00
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仏塔古寺十八尊
多宝塔 (国宝)
檜皮葺き、高さ10mあまり。現在のものは文永八年(1271)の再建で、文明八年(1476)に大修理をしています。塔内には中央に大日如来、左右に持国天、多聞天が安置されています。
開創は天武二年(678)泉州随一の古刹です。
天武天皇の勅命によって覚豪阿闍梨が創建し願成就寺無辺光院と呼んだのが始まりと言われています。のち弘仁六年、弘法大師がこの寺にとどまり諸堂や用水池などを造ったといわれています。
金堂(重要文化財)
本堂
大阪府泉佐野市日根野626 ☎0724-67-0092
参考 関西 古寺巡礼250選 ]]>
仏塔古寺十八尊 <第11番 高野山 金剛三昧院>
http://pilgrimari.exblog.jp/6199261/
2007-09-21T12:36:00+09:00
2018-02-23T18:31:55+09:00
2007-09-21T12:36:19+09:00
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仏塔古寺十八尊
この多宝塔は鎌倉時代創建以来800年もの長い間朽ちずに建ち続けています。国宝に指定されています。金剛三昧院は源頼朝公の妻、二位禅尼北条政子が頼朝公の菩提を弔う為に1211年に建てられたものです。樹齢800年以上の杉の木や天然記念物に指定されている大石楠花があります。高野山は弘仁二年(816)真言宗祖弘法大師が嵯峨天皇より給わり、鎮護国家、救済利民の祈りの場として、また修行者が学問を修め行を積む霊地として開かれました。
和歌山県伊都郡高野町高野山425 ℡0736-56-3838]]>
仏塔古寺十八尊 <第10番 小田原山 浄瑠璃寺>
http://pilgrimari.exblog.jp/6188513/
2007-09-19T07:37:00+09:00
2018-02-23T18:32:59+09:00
2007-09-19T07:37:23+09:00
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仏塔古寺十八尊
三重塔 (国宝)藤原時代
平安末の治承二年、京都一条大宮から移されてきたもの。初層内は扉の釈迦八相、四隅の十六羅漢図と装飾模様で壁面が埋められています。
平安中期の永承二年(1047)に薬師如来を本尊として浄瑠璃寺が創建され、六十年後の嘉承二年(1107)に阿弥陀堂が完成しています。阿字池を中心とした浄土式庭園が造られ寺観が整ったのは久安六年(1150)のことで国宝三重塔を京都から移築したのは平安末期の治承二年(1178)です。
この寺は東の薬師仏をまつる三重塔、中央宝池、西の九体阿弥陀仏から成り立っています。寺名は創建時のご本尊、薬師仏の浄土である浄瑠璃世界から付けられました。薬師仏は東方浄土の教主で、現実の苦悩を救い目標の西方浄土へ送り出す遺送仏です。この寺ではまず東の薬師仏に苦悩の救済を願い、その前で振返って池越しに彼岸の阿弥陀仏に来迎を願うのが本来の礼拝の形です。この九体阿弥陀堂には、今は唯一となった九体阿弥陀仏が祀られています。西の本尊で、未熟な私たちを理想の未来へ向かえてくれる如来です。太陽の沈む西方浄土へ迎えてくれる阿弥陀仏を西にむかって拝めるように東向きに配置されています。
「観無量寿経」にある、九品往生(くぼんおうじょう)、人間の努力や心がけなど、いろいろな条件で下品下生(げぼんげしょう)からはじまり、下の中、下の上と最高の上品上生(じょうぼんじょうじょう)まで九つの往生の段階があるという考えから九つの如来を祀ったと言われています。
京都府木津川市加茂町西札場40 ☎0774-76-2390]]>
仏塔古寺十八尊 <第9番 霊禅山 久米寺>
http://pilgrimari.exblog.jp/6177973/
2007-09-17T06:57:00+09:00
2018-02-23T18:33:55+09:00
2007-09-17T06:57:59+09:00
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仏塔古寺十八尊
養老2年(718)インドの摩伽陀国の帝王、善無畏三蔵が王位を捨てて渡来し当寺に寄留し日本初の多宝塔を建立しました。仏舎利三粒等を塔柱の中へおさめています。807年唐より帰国した弘法大師空海が宝塔内で経王を講賛し、はじめて真言密教を弘伝した真言宗最初の根本道場です。本堂には木像の大きい本尊薬師如来坐像、日光月光両菩薩の立像、十二神将、久米仙人が自分の像を自作し自らの頭髪と生歯を植えたと伝えられる肉附の座像などが安置されています。
また一丈六尺の本尊の体内には一寸八分の小さな金属製立像薬師如来がおさめられています。この寺はもともと久米部氏の氏寺でしたが聖徳太子の弟君が七才の時眼病を患われ、太子のすすめでこの寺の薬師如来に願をかけたところ眼病が平癒されたので、自らを来目皇子(くめ)と称しここに金堂や講堂、鐘楼、経堂など造営された。久米寺と言えば久米仙人の話はかかせません。仙人は金剛山麓の葛城の里に生まれ、吉野の龍門ヶ嶽で修行、神通飛行の術を修得したと言われています。無頼の長寿を保ち、久米寺に百数十年寄住し、聖武天皇が東大寺大仏殿を建立されるにあたって建設の資材を神通飛行の戦術を持って数日のうちに全国から運び集めたと言われています。
また、衆生の中風と下の病気を除くために薬師に誓いを立て自ら孟宗竹の箸を作ったため、竹箸を使うと中風除けと長寿が得られると言われています。
奈良県橿原市久米町502 ☎07442-7-2470
●本尊 天得薬師瑠璃光如来●開山 来目皇子]]>
仏塔古寺十八尊 <第8番 二上山 當麻寺西南院>
http://pilgrimari.exblog.jp/6168579/
2007-09-15T06:45:00+09:00
2018-02-23T18:34:50+09:00
2007-09-15T06:45:02+09:00
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仏塔古寺十八尊
この寺は最初、三論宗でありましたが弘仁14年(823)弘法大師が真言密教を伝えてから真言宗となり、後に室町時代に浄土宗が入ってから、真言宗と、浄土宗の両宗が法燈を護って現在に至っています。
塔頭五カ院が一年交代の輪番制をとっています。
(當麻寺本堂)(講堂 )(本尊大蓮糸曼荼羅中将姫)
(金堂)
(幻想蓮糸曼荼羅)
奈良県北葛城郡當麻町當麻1263 ☎0745-48-2202
●本尊 大蓮糸曼荼羅●開基 役小角]]>
仏塔古寺十八尊 <第7番 高雄山 神護寺>
http://pilgrimari.exblog.jp/6158826/
2007-09-13T07:45:00+09:00
2018-02-23T18:35:45+09:00
2007-09-13T07:45:40+09:00
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仏塔古寺十八尊
高雄は有名なもみじの名所です。春の桜や、新緑も大変美しいです。
神護寺はもともと高雄山寺といい、正式には神護国祚真言寺といいます。その意味は、八幡大神の加護によって国家安泰祈願のために建てた真言の寺という事です。歴代天皇の信頼を受けていた正当派の広虫、清麻呂姉弟以後、和気氏ゆかりのこの寺には伝教大師が来寺、天台宗開宗の基礎固めをし、また弘法大師は、高野山に移る前にこの地に住んで活動した事は東寺の歴史とともに有名な話です。
京都市右京区梅ヶ畑高尾町5
☎075-861-1769
●本尊 薬師如来●開山 慶俊
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仏塔古寺十八尊 <第6番 万年山 慈尊院>
http://pilgrimari.exblog.jp/6143720/
2007-09-10T08:33:00+09:00
2018-02-23T18:37:30+09:00
2007-09-10T08:33:46+09:00
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仏塔古寺十八尊
弘仁7年(816)弘法大師が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、高野山参詣の要所に当たるこの九度山の雨引山麓に、高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場としました。
高齢となった空海の母は、香川県善通寺市から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来ましたが、当時高野山内は七里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を厚く信仰していました。
空海はひと月に9九度(正確に九度というわけではなく、それだけ頻繁にということの例えだと言われています)は必ず20数kmに及ぶ高野山町石道を下って政所の母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられました。空海の母は承和2年(835)2月5日に死去しましたが、そのとき空海は弥勒菩薩の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒菩薩像と母公の霊を祀ったといわれています。弥勒菩薩の別名を「慈尊」と呼ぶことから、この政所が慈尊院と呼ばれるようになりました。空海の母がこの弥勒菩薩を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここということで「女人高野」とも呼ばれています。
高野山の道案内犬 ゴン
「ゴン」はもともと慈尊院近くの橋をねぐらにする雄の野良犬でした。1989年ごろから高野山参詣の表参道「町石道(ちょういしみち)」の登り口にある同院から高野山までの険しい山道を6、7時間かけて参詣人と一緒に登るようになり、心ひかれた慈尊院の住職が飼い主に。
その後も巡礼姿の人を見ると、たびたび道案内し、いつしか「弘法大師の使いの名犬」と呼ばれるようになりました。老衰でこの世を去りましたが慈尊院の境内に弘法大師とともにお祀りされています。弘法大師の母をお祀りする慈尊院から、約20キロ離れた高野山まで参詣人を“道案内”すると話題になった雑種犬「ゴン」の姿を、ノンフィクションライター関朝之さんが童話にした「高野山の案内犬ゴン」が、ハート出版(東京)から出版されえています。このわんちゃんは住職さんの二代目のたしか「カイ」という名だったかな?門のそばで寝てました。(2005/11/27 手記)]]>
仏塔古寺十八尊 <第5番 富美山鼻高 霊山寺>
http://pilgrimari.exblog.jp/6133607/
2007-09-08T10:27:00+09:00
2018-02-23T18:40:18+09:00
2007-09-08T10:27:25+09:00
ro-shin
仏塔古寺十八尊
(三重塔)
鎌倉時代中期 重要文化財
敏達天皇(572~85)の頃は、この富雄の里は小野市の所領でした。古事記にはこの登美、日本書紀に鳥見の地とあります。
天地天皇の10年(671)小野妹子の息子の小野富人は右大臣の職に就きましたが壬申の乱が起こり大政大臣大友皇子が破れたために(672)右大臣を辞任して富美山に隠棲しましあ。これが霊山寺発祥の遠因になるのです。小野富人はこの地で薬草などを栽培して世人の病を治していましたが(684)4月5日から21日間、熊野本宮へ籠って祈られました。満願の日に薬師如来の姿を感得し薬湯によって病人を救うことを決意されました。登美山に薬風呂をつくりそこに薬師三尊をお祀りされたのです。世人は富人のことを鼻高仙人といって崇敬しました。
その後孝謙皇女が病気になった時、聖武天皇の命により行基が、登美山の湯屋の薬師如来に代参祈願して病気が治ったことから天平12年(734)聖武天皇は行基に大堂を建てて、湯屋の薬師如来をお祀りするように命ぜられました。
その翌々年にはインドの婆羅門僧菩提僊那(ぼだいせんな)が来日、登美山の地相がインドの霊鷲山(りょうじゅせん)に似ているところからこの寺の名を霊山寺とするよう奏上されました。
奈良市中町3873 ☎0742-45-0081
●本尊 薬師如来●開山 行基菩薩及び菩提僊那
<参考引用掲載> 西国四十九薬師巡礼 朱鷺書房]]>
仏塔古寺十八尊 <第4番 高雄山 岩船寺>
http://pilgrimari.exblog.jp/6122456/
2007-09-06T07:42:00+09:00
2018-02-23T18:41:07+09:00
2007-09-06T07:42:07+09:00
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仏塔古寺十八尊
(三重塔)
天長二年(825)智泉大徳入滅の後、十年を過ぎて承和年間(834~847)に、仁明天皇が智泉大徳の遺徳を偲んで宝塔を建立されたものと伝えられています。創立は天平元年(729)聖武天皇が出雲の国不老山大社に行幸の時、霊夢によってこの地に阿弥陀堂の建立を発願、大和の国善根寺に籠居されていた行基菩薩に命じて建てられたのに始まっています。
(十三重石塔)
正和三年(1314)に妙空僧正の造立と伝えられる。
(石室不動明王立像)
岩船寺の本尊は平安時代のケヤキの一本造り、約3mもある大きな阿弥陀さまです。
京都府木津川市加茂町岩船上ノ門43番地☎0774-76-3390]]>
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