あびこ観音さん 行ってきました。 |


あびこ観音 節分厄除大法会
開催日時 毎年2月1日〜7日
開催場所 吾彦山大聖寺観音寺(あびこ観音)
交通 JR我孫子町駅から徒歩10分
または地下鉄御堂筋線あびこ駅から徒歩5分
問合せ 06-6691-3578(あびこ観音)
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2009年 02月 01日
![]() ![]() あびこ観音 節分厄除大法会 開催日時 毎年2月1日〜7日 開催場所 吾彦山大聖寺観音寺(あびこ観音) 交通 JR我孫子町駅から徒歩10分 または地下鉄御堂筋線あびこ駅から徒歩5分 問合せ 06-6691-3578(あびこ観音) ▲
by ro-shin
| 2009-02-01 13:22
| 関西ご利益寺社
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2008年 12月 29日
鬼を操る超能力者阿倍晴明 ![]() 歩いていると、ところどころに、熊野かいどうの石碑が建っています。バスの場合は王子神社前で降りるとすぐです。 ![]() 熊野詣では平安時代から鎌倉時代にかけてさかんになり「蟻の熊野詣」とよばれました。その街道の往来が激しくなるにつれ京の都から熊野までの道筋には熊野九十九王子と呼ばれた王寺社が作られました。 王子とは熊野三山の末社という意味で、遥拝と休憩所を兼ねた社はそれぞれの土地の名前を付けて呼ばれました。そのためこの神社は阿倍野の地にある王子神社となります。大阪市阿倍野区の阿倍野という地名は、その昔阿倍氏一族が住んでいた土地であったことから由来します。 阿倍晴明神社 ![]() その御祭神である阿倍晴明は、平安時代の陰陽師で「陰陽道」を自在につかっての運勢や吉凶・天変地異を占い、その不思議な能力を駆使して鬼狩りを行なったと言われています。 また「式神」とよばれる、しもべの鬼を晴明の屋敷があった京の都の一条戻橋のたもとに埋めて、自由自在に操ったとも言われています。式神とは陰陽師のつかう操り人形のようなもので、呪文を書いた紙を鬼や烏に変身させて遠くはなれた場所の情報を知ったり、呪いをかけたりすることができる妖術です。 ![]() 明治維新の頃から衰退し、一時は石碑と祠が残るのみになりましたが大正十四年(1925)に阿倍王子神社の末社として再建され現在に至っています。また太平洋戦争の焼夷弾の直撃を受けても不発に終わったことで厄除けの神としてもてはやされるようになりました。 現在では[占いの神社」で有名です。本殿には日替わりで占い師が常住しています。また、「四神」と呼ばれる魔除けの守護神のお札や、ブレスレット、勾玉なども販売されています。 ![]() 参考引用掲載 大阪神戸の謎とき散歩 写真 ro-shin ▲
by ro-shin
| 2008-12-29 23:13
| 関西ご利益寺社
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2008年 12月 26日
全国住吉社の総本宮
![]() 「住吉大社と言えば太鼓橋」と言われるほど住吉大社のシンボルとして親しまれています。 長さ20m、幅5.8m、高さ4.4mでかなり勾配がきついです。住吉大社の反橋は豊臣秀頼が造営した物と伝えられていますが、一説によると本社の修築は秀頼が行ない、反橋は淀君の造営だとも言われています。 ![]() 禊祓いの神社として信仰されていて、七月三十一日・八月一日の両日には住吉祭「おはらい」がおこなわれ、神功皇后の船を助けたことから、航海の守り神としても崇拝されています。 大阪市住吉区住吉2-9-89 参考引用掲載 大阪神戸の謎とき散歩 写真 ro-shin ▲
by ro-shin
| 2008-12-26 08:22
| 関西ご利益寺社
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2008年 12月 22日
![]() その後織田信長の石山本願寺攻めの際、本願寺と隣接していたため兵火に類焼しますが、その後すぐ再興されました。 天正年間、豊臣秀吉の大阪城築城の時に現在地に移され秀頼の寄進によって社殿も造営されました。 大阪城守護のため、境内は北向きに八幡宮がおかれましたが、またもや大阪夏の陣の兵火により焼失。その後豊臣秀忠の命で再建され江戸幕府から広大な社域を与えられ、徳川家からも厚い信仰を受けることになりました。 ![]() 様式の異なる破風を重ねて造られた社殿は『生国魂造り』と呼ばれ、神社建築としては他には見られない、桃山時代の社殿建築様式が取り入られています。 大阪市天王寺区生玉町13-9 参考引用掲載 大阪神戸の謎とき散歩 写真 ro-shin ▲
by ro-shin
| 2008-12-22 14:27
| 関西ご利益寺社
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2008年 12月 19日
どんどろ大師の由来は ![]() ![]() ![]() 1834年徳川四天王の一人、徳川家康の家臣、大老土井大炊頭(どいおおいのかみ)利勝の孫の土井大炊頭利位が、大阪城代を命じられて大阪赴任の折、玉造の地に屋敷をかまえ、この弘法大師に深く帰依されました。 このことから「土井殿のお大師様」が「どいどん」〜「どんどろ」と転訛していったといわれています。その後明治時代に入るまでは、鏡如庵大師堂とよばれ、多くの信仰を集めることになりました。 この「どんどろ大師」は近松半二作の浄瑠璃「傾城阿波鳴門」舞台になったことで有名に・・・しかし、この物語は阿波の国も舞台になっていて、讃岐地方の方言で雷のことを「どんどろ」と呼ぶことから、「どんどろ大師」の語源は、土井殿がなまったものではないと言う説もあります。 ところが明治の廃仏棄釈の影響で、檀家をもたない信者寺である『どんどろ大師」は存在が危ぶまれることとなりました。廃仏毀釈では檀家をもたない寺は認められないという決まりがあったそうです。そのため、大阪の北の端、豊能郡東能勢村木代という地区にあった「善福寺」が、檀家ごとこの地に移転されました。その結果「どんどろ大師善福寺」となったのです。 大阪市天王寺区空堀町10-19 ☎06-6768-6366 参考引用掲載 大阪神戸の謎とき散歩 写真 ro-shin ▲
by ro-shin
| 2008-12-19 21:23
| 関西ご利益寺社
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2008年 12月 16日
成人式のルーツ・十三参り ![]() 虚空蔵菩薩は、太陽が地上の万物を育んでいるように、広大無辺の知恵と福徳を菩薩として、知恵・記憶力増進のご利益があるとされ信仰されています。 江戸時代の中期から江戸では「七五三まいり」が盛んになりますが、大阪や京都では「十三まいり」が盛んに行なわれていました。 ![]() 人間の一生のうちで三つの大厄があるとされその最初の厄年が十三才です。その十三才の厄は「変体の厄」と呼ばれ子供が大人の体に移り変わる年とされ、元服の年です。(厄年の数えかたは数え年で)虚空菩薩は特にその厄を除くとされ、十三仏信仰の第十三番目の仏でもあるため「十三まいり」信仰が生まれたとも言われています。 菩薩の縁日である毎年三月十三日と四月十三日(及びその前の日曜日)に、御会式(おえしき)が行なわれています。 ![]() また当寺には、卓越した医療技術で有名な北山寿安が生前自ら建てた石造りの北山不動の像があります。寿安をモデルにして作られたとも言われています。寿安は元禄十四年(1701)三月三日、生きながらにこの石像の地下に入定し、その三月十五日に寿安の打つ鐘の音が消えた事から、現在でも毎月三日と十五日、不動明王縁日の二十八日には多くの人が訪れます。 ![]() ![]() ![]() 大阪市天王寺区夕陽ケ丘町1-1 参考引用掲載 大阪神戸の謎とき散歩 写真 ro-shin ▲
by ro-shin
| 2008-12-16 21:23
| 関西ご利益寺社
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2008年 12月 13日
壬生狂言で全国的に有名 ![]() 壬生寺は正暦二年(991)快賢僧都によって創建されました。 本尊は延命地蔵尊で古来より地蔵信仰とともに厄除開運の寺として信仰されてきました。 七百年の伝統を持つ壬生狂言が、毎年4月21日〜29日までおこなわれる壬生狂言の時には、ほうらく割りという行事がありいろいろなご利益があると人気を集めています。 参詣者が節分の日に氏名や年齢を書いて奉納したほうらくを、次から次へと舞台から落として割ります。割れることによって奉納した人の厄が落ちるといわれています。昔はこの破片が虫除けに効果絶大といって主婦が争って拾っていたようです。こうしたご利益はすべて地蔵菩薩の霊験によるもので、壬生狂言の演者たちはすべて菩薩の化身として演じます。壬生地蔵の霊異譚は多く残り『壬生地蔵縁起絵巻』としてまとめられています。 本尊の延命地蔵菩薩は秘仏ですが、盆と正月に御開帳されます。日常的な庶民の対象として本堂右の水かけ地蔵さんがあり一つだけ願い事が叶うとか・・・ ![]() 新撰組はしばしば境内で大砲を撃つ訓練をし、その砲撃の振動で、中院のやねがらわも落下することがあったらしいです。 ![]() 京都市中京区坊城通仏光寺上ル壬生寺内 ☎075-841-3381 参考引用掲載 ご利益BOOK IN 京都 写真 ro-shin ▲
by ro-shin
| 2008-12-13 15:22
| 関西ご利益寺社
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2008年 12月 10日
方位をつかさどる大将軍の神 ![]() ![]() 建築や転宅、旅行など鬼門を恵方に変えるために祈る方除け信仰は現在も続いています。古来からのしきたりで、このお宮から砂をいただいて、五ヶ所に埋めると鬼門から逃れ安全に事が運ぶと言われています。境内の収蔵庫には鎌倉時代の大将軍神像が79体も祀られていて、日本一の数を誇り貴重な資料となっています。申し込めば拝観できるそうです。 京都市上京区一条通御前西入 ☎075-461-0694 市バス北野白梅町下車 徒歩5分 参考引用掲載 ご利益BOOK IN京都 写真 ro-shin ▲
by ro-shin
| 2008-12-10 19:14
| 関西ご利益寺社
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2008年 12月 08日
![]() 数え年で男の25才、42才、61才、女は19才、33才、37才を厄年とされています。そのなかでも、男の42才と女の33才は大厄(本厄)といい生涯で最も注意しなければならない年で、何らかの変事が起こる可能性があるといわれています。古くから厄年にあたる人たちは、不測の災難から逃れ、健康と開運を祈る厄除祈願を行なってきました。 ![]() このような厄除祈願を行なう寺社はたくさんありますが、その中でもこの西宮の門戸厄神は、関西随一の厄除祈願の霊場としても有名です。門戸厄神は東光寺といういうれっきとしたお寺ですが、お堂の前には鰐口ではなく鈴が下がっていて、神社と間違えるかも知れません。 ![]() この厄神明王は829年嵯峨天皇が41才の時弘法大師の指導により自ら厄除祈願を行っていた時に愛染明王と不動明王の御尊体が融合一体と化して虚空の獅子座から諸々の災厄を打ち払って魔性をたいらげる霊威を夢で感得されました。そのことを弘法大師に伝えると弘法大師は三体の、和合一体両頭の明王像を刻まれました。一体はこの寺、一体は紀国高野山の天野明神へ、一体は京都山城国、男山の岩清水八幡へ勧請されました。 ![]() 愛染明王は開運の大黒天と堂を同じくお祀りされています。 毎月19日が縁日で特に1月の大祭には多くの人々が集まります。 毎年11月19日には人形供養も行われています。 ![]() 兵庫県西宮市門戸西町2-26 ℡0798-51-0268 参考引用掲載 関西ご利益の寺社 写真 ro-shin ▲
by ro-shin
| 2008-12-08 15:26
| 関西ご利益寺社
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2008年 12月 04日
![]() 行円はもとは猟師でしたが、ある日山中で牝鹿を射止めました。 ところが、なんとこの鹿は身ごもっており、お腹の中から真っ赤な血とともに子鹿が出てきたではありませんか。あまりの事に驚いた行円は、殺生をやめて出家しました。 母鹿の皮を清め経文を書いて身につけて京を歩いていた行円は、ある夜の事、霊無を見て、加茂明神の境内からツキの木(ケヤキ)を見つけました。この木で八尺の十一面観音を刻んで寛弘二年(1005)、一条新町に建立したのが行願寺で、皮堂と呼ばれています。 ![]() 七福神堂の中をのぞいてみると、極彩色で親しみやすい表情の寿老人が微笑みかけています。ただし、この像は後世の もので、太閤さんがお祀りした像は宝物館に保管されています。他にも行円上人像や幽霊絵馬などが展示されています。 ![]() 娘の行方を捜す両親が革堂に祈願していると、ふみが幽霊になって現れ母にもらった手鏡を渡しすべてを話して消えました。八左衛門は捕われ両親は幽霊の絵に鏡をつけて奉納したという事です。 京都市中京区寺町通竹屋町下ル 行革寺門前町18 ☎ 075-211-2770 参考引用掲載 関西ご利益の寺社 写真 ro-shin ▲
by ro-shin
| 2008-12-04 17:09
| 関西ご利益寺社
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