仏塔古寺十八尊 <第13番 槇尾山 観心寺> |
建掛塔






♪青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ〜
大阪府河内長野市寺元475 ☎0721-62-2134
●本尊 如意輪観音●開祖 役小角
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2007年 09月 25日
建掛塔 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ♪青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ〜 大阪府河内長野市寺元475 ☎0721-62-2134 ●本尊 如意輪観音●開祖 役小角 ▲
by ro-shin
| 2007-09-25 06:25
| 仏塔古寺十八尊
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2006年 11月 07日
●御詠歌●
千代までも 厄災消除の おん誓い 大師のみ手の あとぞ尊き ![]() 観心寺は文武天皇の大宝元年(701)役小角(役行者)によって開かれ、はじめ雲心寺と呼ばれていました。 ![]() ![]() 金堂如意輪観音・秘仏で毎年4月17・18日開扉 ![]() ![]() 建掛塔 三間四方・茅葺・三重塔建立予定が、楠木正成湊川で討死のため未完のまま現在に伝わる南朝の歴史を偲ぶ楠木氏の菩提寺です。 ![]() ♪青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ〜 大阪府河内長野市寺元475 ☎0721-62-2134 ●本尊 如意輪観音●開祖 役小角 ----------------------------------------------------------------------- 法話 朱印の功徳について 観心寺住職 中島龍弘 あなたは今この世とおさらばして冥土の旅に入られた。四十九日間はひとりで冥い(くらい)世界をを歩き続けなければならない。そして一週間ごとに生前の行為の審判を受けて、弥陀の浄土に行くことになるはずだ。罪深ければ四十九日では弥陀の浄土に行けないかもしれない。百ヶ日、あるいは一周忌、三回忌まで待たなければならないかもしれないのだ。 初七日は書類審査。二七日は審判の前で「三途の川」を渡る。 ついたところで、懸衣翁(けんえおう)、奪衣婆(だつえば)がいて、着ていたものを全部脱がされる。この時残されるのが「おいずる」なのだ。 三七日、四七日を経ていよいよ五七日。有名な閻魔大王の前にくる。 ここであなたは王から質問を受ける。「何かいい功徳を積んできたか!」と。このときは、 「たいした功徳は積んでいませんが色々な霊場を巡拝して仏様のおかげを頂戴してきました。これがその証です。」と朱印帳やおいずるを見せればよい。閻魔は必ずその行為を褒めて四十九日を待って浄土へ行くことを約束してくれるはずだ。 巡拝することで仏様とご縁を結び、御先祖様を供養し生かされていることを感謝する。そのことによって、毎日を「おかげさまでと」いう気持ちで送れるようになるのである。そして巡礼に行くには健康でなければならない。身体の健康に留意し、心の健康を満たすためいろいろな霊場を巡拝して朱印をいただけたらよい。別にあわてて冥土に行くことはないが、ただいずれかの日のために、おいずるや朱印帳を用意だけは必ずしておきたい。 <参考引用掲載>新西国霊場法話巡礼 朱鷺書房 ▲
by RO-SHIN
| 2006-11-07 17:43
| 新西国霊場
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2006年 11月 06日
●御詠歌●
はれわたる 天野の宮の 金剛寺 古にし蹟も 畏かりけり ![]() ![]() ![]() それから400年程の間に寺は衰退してしまいましたが平安時代の末になって高野山から阿観僧正という高僧が来寺し、後白河法王に復興を願い出たため、塔頭(子院)七十余、寺領六百町歩を有する大寺になりました。 さらに高野山から真如親王筆の弘法大師の尊像の第三転写像をお迎えし、高野山が明治の初めまで女人禁制であったのに対し女人の参拝を許したので後に女人高野と言われるようになりました。 また南北朝時代になると勤王護国の寺として後の日本歴史を大きく左右する存在となったのです。 さらに1354年3月22日北朝の光厳、光明、祟光の三上皇が河内の東条より金剛寺へこられ、同年10月28日後村上天皇も大和賀名生(あのう)からここへ移られました。従って北朝三上皇が京都伏見へお帰りになられた1357年までの3年間は南北両朝の行在所でありました。 南北朝の文献や楠木氏に関する文献等においては質、量ともに比類がありません。 大阪市河内長野市天野町996 ☎0721-52-2046 ●本尊 大日如来●開基 行基菩薩 ----------------------------------------------------------------------- 法話 生き方 金剛寺座主 まだ若い学生の頃、美術館で平安時代後期保元平治の乱の合戦の様子を書いた屏風を見たことがあります。親子兄弟が刃を交える光景に何とも形容しがたい戦慄を覚えたことでした。 それより時がたち世が変わり朝廷と幕府の争いに始まる南朝と北朝の時代、この時代を二分した後醍醐天皇にしても足利尊氏にしても、それぞれ自分の理想とする国家を作りたいという目的のため権力に執着していったのでしょう。でもその理想としていることが誰にとっても素晴らしいものであるとは限らない、そこに争いが生じたのでありその執念心がこの混乱を引き起こし保元平治の乱に見た地獄絵の再現になったのでしょう。 この南北朝時代の歴史の中心にあったここ金剛寺におりますと、ふと「もののあわれ」というか哀しいまでの人間模様に思いをめぐらすことがあります。 人としての生き方はさまざまです。 真言宗でふだん唱えているお経に、「以我功徳力 如来加持力 及以法界力普供養而住」という三力の偈というお経があります。これは「我が功徳力と如来の加持力と及び法界の力とを以って普く供養をして而も住す」ということで、意味は自分たちの身と口と意の三つの働きによる修行により、私たちを護ってくださる仏様の力がわだかまりなく自分に加わるのであり、この三つが合致するとものごとが成就すると教えているのです。 <参考引用掲載>新西国霊場法話巡礼 朱鷺書房 ▲
by ro-shin
| 2006-11-06 12:05
| 新西国霊場
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